88 夢の土台④「嵐の後で」

嵐の後は何故か清々しさが残りました。

草取りしかできなかった年が何年か続いた。その間嵐は何回も来ていた。それでも家は形を保とうと必死の様相を呈していた。そう、あの家は東日本大震災をも経験している。

嵐の後毎に家がきちんと残っていますようにとやることもやらずに願っていたにもかかわらずただ祈る気持ちで現地へと向かっていたが、いつもまるで何事もなかったかのように家はそこに佇んでいた。

俺は気持ちが山から里へ(その後さらには街へ)下り始めていることを感じ始めていた。歳をとるにつれ一人で生きていくことの難しさを肌で感じ始めていたのだ。

そうこうするうちに一念発起して退職し取り掛からなければならないと半分意地のようにもはや、草だけでは済まなくなっていた灌木やらを取り除いている最中に最後の嵐がやって来た。家は屋根を支えていた柱が倒れ文字通りぺしゃんこになった。

近付いてみるとつぶれる前から既にもう家と機能するには腐食が進み過ぎていた。うすうす気づいてはいたがそれでも後に子を残さないたった一代の人間が棲むだけならと自分をだましていたのもこれまた事実である。

何もかもを失い過ぎてもはや清々しさしか生まれてこなかった。最初は。しかしすべてが自業自得なのだ。

今思う。あの家は機能する前に役目を終えてしまったのかもしれないと。

屋根がつぶれたことであきらめざるを得なかった。そして気持ちもどんどん離れていく。履かなくなった靴の痛みが激しいようにそこからの家の腐食は加速度的に進んでいった。

暖かくなったら撤去作業をしようと思う。多分、苦心して作った家の土台、基礎だけが残るだろう。そして新たにそこに何を生み出せるのであろうか。