127 今年初のトマトパスタに使ったトマトが当たりだった件について
いつもなら紙パックに入ったクラッシュドを使うんですけどね。
生のトマトはほぼ食べない。食べたとしても年に2度くらい。子どもの頃は生トマトが苦手でなんとか食べられたのがウスターソースをかけたやつ。変な食べ方だがそんなことも影響しているんだろうな。
だから野菜売り場でトマトに手を出すときは調理用ということになる。
売り場で手ごろなトマトを見つけた。完熟とは謳っていないが青いところがない。これは加熱用にうってつけだと思い1皿4個を買って帰った。パンチェッタが合うかなと思い一緒にかごに入れた。
人参だの南瓜だのをスチームしたのを優先させたから(こちらにもパンチェッタを使う)トマトの調理の番が回ってきたのは本日の昼食だった。
本当ならニンニクで香りづけをしたかったが昼ということで避けた。代わりに一味を熱したオリーブオイルに振った。まずパンチェッタを炒める。焦げ目が多少ついたのが旨そうだ。
なんだか寂しく感じ、冷蔵庫を覗くとしめじがあったからそれも炒める。しめじがしんなりとしてきたところでトマトを入れる。皮付きのまま櫛形に切ったものだ。
少し火を落として煮込む。少しするともうケチャップのようになっている。このトマトは正解だ。
味付けは塩、ドライバジル、ミルで挽いた黒胡椒だ。
トマトの味が濃そうなのはよく分かった。味付けはこれで十分だろう。
この間にパスタを茹でておいて混ぜ合わせる。出来上がりだ。
やっぱりトマトは当たりだ。水っぽくなくしっかりとした味わい。
こんなことがあると嬉しくなっちゃうね。
126 一つの道標として
やっぱり今日記事を書くとこうなってしまうんだなあ。
いつもと同じ朝。
日課として茶を淹れた。いつもよりは少し丁寧に。誰が飲むわけでもないけれど。
花はもう3日前から花瓶に挿してあるから水を替える。
随分埃が貯まっていることに気付き布巾で拭く。
久しぶりに線香をあげる。
掌を合わせる。思いを巡らせる。もう12年も経ったんだ。
生まれてきたことに感謝し、1年生き延びたことにまた感謝をする。形に表せばこういうことしかできないがしないよりはずっといい。
125 今年になってから二連休はあったか?
決して働き過ぎではないんですが。
休みの希望が出せることは幸せなことだと思う。とはいっても1カ月先のことなどわからないから、せめて誕生日に連休を取ろうと先月頼んでおいた。それに合わせて親父様のショートステイも予定に入れて昨日から久しぶりの一人暮らし状態である。
初日の昨日は疲労を感じてだらだらと過ごした。食事の時間帯もめちゃくちゃかつ褒められたものを食べていない。このまま怠惰な休日を過ごすのかと少し反省をした。ま、こういう日も必要なんだけれどね。
そして今日、休みではなく仕事には行くのだが、いつもしていることをしなくてもいい分昨日とは逆にきちんと生活しておきたくなった。
昨日取り入れた洗濯物を片付けながら朝食のメニューを考えた。これぞ日本の朝食といえるような何か。
割とすぐに決まるのはそれしか知らないからに他ならない。
焼き魚
漬物
海苔
納豆
おから
味噌汁
あとは細かいところを何にするかだけである。魚は鮭、漬物はぬか漬け、味噌汁はなめこと葱にした。
丁寧に支度をするから丁寧に食べるよう努めた。とかくエネルギー補給の意味合いが強い朝飯も何だか違うもののような気がしてくる。
さて、今日はおふくろのために花を活けて親父の股引のゴムを取り換える。これだけは必ずやっておこうと思う。