170 去来するもの

確実に一つずつできないことが増えていく。

最近できなくなったこと。汚れたシーツを取り換えるのに新しいシーツを自分で替えてもらっていたがだんだんいい加減になりついに俺が手を出した。今の様子を見ていると汚れたシーツをはがすのも時間の問題か。

同居するようになった頃はほぼほぼ自分のことは自分でできる状態だった。歩ける距離にしてもそう。500m離れた近くのコンビニに歩いて行けたのだから。それが今では自室とリビングの往復さえ「めんどくさい」と言う始末。

多分この退き具合をいちいち目の当たりにしている俺は否応なしに自分の行く末に重ねているのだと思う。こんな風にできないことが一つ一つ増えていき、やがてお迎えが来る。そんな頃には何を思うのであろうか。

また戻して彼の思うものは何なのだろうと考えてみる。例えば、周りにいたはずの人々のこと、一つ一つ思い出してはもうどうにもできないと諦めていたりするんだろうか。

恐らくは頻度高く彼の脳裏に過るものは親(俺にとっての祖父母)のことでもあるのだろう。話に聞く限り恨んでいるようなことばかりだから悔しさでいっぱいになるのかもしれない。俺が思うにそこから囚われて逃れられていない。辛いんだろうなと思う。だから父親の役割ができなかった(稼ぐということのほかの話だけど)のだとも思う。

ならば後に続く者がない俺としてはこの連鎖を断ち切るのに一役買っているのかなとも思ったり。

再び立ち返って俺のこと。そうなったときに去来する人々との思い出。できれば思い出してはにっこり笑っているような人生でありたいと切に思う。