103 妖怪・蓋閉じ

よくここまで親のことを悪しざまに。

数年前から父親と同居している。介護度の認定がされている。

同年代で話をしていると親の話になることがある。あるいはもう逝ってしまった家族のこと。

ゲイの仲間で話をしていると実に多くの人が血を分けた家族のことで問題を抱えている。(いや、ゲイに限らないかもしれないのだが)特に父親。

早くに親を亡くした人、親との葛藤がある人・・・。

とてもとても話すのが憚られるのだが、俺は父親が嫌いだ。人として。だが、憎んではいない。ただ、可哀そうな人と思う。

この人に父親としての自覚はあったのかと思われるほど父親らしいことをしてもらった記憶がない。父は家族のためにただ働いた。それが父親らしいと言えばそれまでなのだが。

確かにそれをもってここまで成長したのだから感謝はしている。とても無機質な感謝を。

ただ一つだけ「ああ、父親だったんだ」と思えるエピソードがある。それは母が亡くなった時に出てきた膨大な量の母の日記に紛れていたほんの数ページだけ書かれた父の日記だ。

父は小学校もまともに出ていないと言う。(これはまだまだ開拓をしなければならない北海道という地に生まれたからだと聞かされている)かなり驚いたのだが、字を読めても書けなかったらしい。それが「俺も人の子の親となる。文字の練習をするために日記を書く」みたいなことが日記の冒頭に書いてあった。

それだけがただそれだけが父親らしいことをしてくれたという目に見える事実だ。恐らくは本当はそうではなく極めて感情表現が乏しい人なのだろうと思う。

スキンシップでいえば、まだ記憶にも残らない頃に一度だっこしてもらったことがあるらしい。その時に何を思ったか父は俺の腿をつねったらしい。当然俺は大泣き。それ以来だっこをすることもなかった。



ここ2年ほどでずいぶんと動けなくなった。動けない分口が達者になる訳でもない。

最近ふと気づいたことがある。台所洗剤の蓋が閉まっているのである。俺はすぐに使えるようにとまずそのようなことはしない。以前、家事分担をしていた時に食器を洗ってもらっていたがその時も蓋は閉まっていた。

仕事を始めて夕飯の時分に俺はいないから用意されたものを一人で食べているのだが、片付けもせず食卓にそのままの時もある。またシンクに入れてあることもある。だが、洗い物はされていない。汚れた食器だけがシンクに入っている。洗剤を手に取ったところで力尽きそれ以上ができなかったのか。

悲しいことに俺はもう妖怪の仕業だと思うようにしている。蓋が閉まっているところで何も俺に不利益はない。いや、俺に不利益なことをしでかしても妖怪のしたことにすれば腹も立たないかもしれない。

もともと人との関係に問題があった父だからずっと以前から妖怪だったんじゃないかとも思いが過ったりもする。

だんだん人らしさを失っていくのを目の当たりにしながら、俺もこの人の子、妖怪なのかもしれないと思う。

妖怪蓋閉じは息子のまだ帰ってこないのを案じてか玄関の電気を今日もつけっぱなしにしている。もう、電気料金がもったいないとはもう俺も言えない。