51 唯一の賞賛

こんな話を書いたからといって死期が迫っているとかいう訳ではありませんよ。

マスターとの話はつい時間を忘れるほどなのだが、俺が叱咤されて終わるのが常なのである。それでも通い続けるのはきっと人生の中で必要なものだと感じているからなのだと思う。

否定されることは辛いものであるが、その先にある温かみを感じられるから続けていられるんだと思う。この年齢になるとなかなかそういう人とは出会えない。

そのマスターがただ一度だけ俺に拍手をしてくれた。マスターのお題は「最期に自分に掛けたい言葉は何?」というものだった。

俺は「面白かったなと言って死にたい」と答えた。こう言った類の質問にはいつも真面目過ぎるくらい考えて答えたものであったが、何故かこの問いにはすっと自分の口からそれが出てきた。

この面白いという言葉、俺にはただ笑っちゃうという意味の面白さではないことは既にお分かりいただけているかと思う。

人生は思うとおりにいかないから面白いという文句を聞いたことがある。まさに俺の今までの人生は思う通りにはいかな過ぎているが、だからこそ思い通りに近づけるよう努力してきたのではないかと思う。きっとその過程が「面白い」ということになるのだ。

それでも思い通りの仕事に就けたり、好き勝手なことをたくさんできたりという面もある。だが、きっと今際の際の走馬燈にはそのシーンは割愛されるだろうと考えている。

結局何故マスターは拍手をしてくれたのか俺にはよくわからずじまいだったんだが・・・

話は変わって、ふとマスターに漏らした言葉がある。

「死ぬまでひとりなような気がする」

マスターは柔らかく微笑んで「そんなことはないよ」とそれも否定してくれた。